観修寺・平等院
サムネイルはこちらをクリックして下さいね。
 
            

勧修寺は昌泰3年(900年)、醍醐天皇が創建したもので、宇治郡の大領であった
宮道弥益(みやじのいやます)の邸跡と伝えられている。 
 『今昔物語』には、そのいきさつが記されている。藤原高藤(ふじわらのたかふ)という若者が鷹狩の際に雷雨に遭い、宮道邸で一夜を過ごした。高藤は弥益の娘、
列子(つらこ)と結ばれ、胤子(たねこ)をもうける。胤子は成長し宇多天皇の女御となり、
醍醐天皇の生母となった。 
 境内には平安時代の姿をよくとどめる庭園や、書院(重文、江戸時代)
宸殿・本堂(江戸時代・京都市指定文化財)がある。(http://www.city.kyoto.lg.jp/yamasina/page/0000012056.htmlより)

inserted by FC2 system